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代表 立川勝一のプロフィール

第一章 誕生、そして幼少期

私は、昭和37年3月26日、八王子市明神町で生まれました。
父、母、祖母そして後に生まれてくる弟との5人家族でした。
実家は、青果店を経営していました。
幼いころの私は、おばあちゃん子だったそうです。祖母には、巣鴨の「とげぬき地蔵さん」に連れて行ってもらいました。
物心のついた私は、父の車に乗って、青果市場によく行きました。
父、母、祖母が野菜・果物を売ってくれることで、私は成長させていただきました。
ある意味、野菜・果物によって育てられたといっても過言ではありません。
野菜・果物に、心から感謝しています。

小学校は、地元の八王子市立第四小学校に通いました。
今ですからはっきり言えるのですが、小学校の4年生ごろの算数は好きでした。
小学校のころ習わせてもらっていた「ピアノ」と「そろばん」は、現在の業務の基礎になっています。
計算は父譲りのもの、ピアノは母譲りのものだと思っています。

暗算と、ピアノの発表会で譜面を見ないで弾く(暗譜)は特に役立っています。
「右脳」の基礎訓練に、間違いなくなっていたと思います。
イメージを通して長期記憶をする、ということの原点がこの時期に身についたと思います。
習い事をさせてくれた両親に本当に感謝しています。

第二章 時をかけていた頃、そして土台の芽生え

小学校卒業後、地元の八王子市立第五中学校に進みました。
その後、高校へ進学しました。
そして、大学に進学できました。
学生時代、「民法」だけは、基本からきっちりと学びました。
たとえば、贈与契約は、あげた人ともらった人の両者の意思表示が必要であることや、「相続編」は、相続の基本をなす法律であることなど、相続税の業務の土台となっています。
また学生時代に、「祖母の死」を通して、人の命の尊さとはかなさを身に染みて感じました。
まさに、民法の条文そのものである「相続は、死亡によって開始する。」ということを体験いたしました。

一方では、テニスサークルの活動をしていました。
ケータイもメールもなかった昭和57年4月、大学3年になりました。
新入生勧誘でテニスサークルのビラを作り、説明会を開催し、電話をし、新入生歓迎合宿、テニスコートの予約、イベントや夏合宿を企画、実行しました。
無事テニスサークルを運営でき、そして次の学年に引き継げたことに、先輩、仲間をはじめ心から感謝をしています。
今思うと、会計事務所の運営の原点は、テニスサークルの勧誘からの一連の行動にあったといっても過言ではありません。
昭和57年8月の終わりに、夏合宿を最後にサークル活動の一線から退きました。

 

そして、大学3年の秋から、税理士試験受験の専門学校に通い始めました。
翌年の昭和58年8月、大学4年の時に税理士試験の受験をしました。
受験後、偶然映画館で見た、原田知世さん主演の「時をかける少女」が一世を風靡していました。
翌年3月、大学を卒業しました。
その後、アルバイトをしながら専門学校に通いました。
当時フリーターという言葉がなかった時代でしたので、かなり肩身の狭い思いをしました。
昭和60年12月税理士試験に合格しました。
大学受験を経験していない私は、人生の中で一番勉強をした時期でした。
ある意味目標に向かって、一番輝いていた時期でもありました。

昭和61年2月、多くの友人より2年遅れで勤務先が決まりました。
そして、2年遅れでの卒業旅行。
初めての一人旅で、父島に行きました。
「自分自身の信ずる道を歩め!」と背中を押してくれた両親に心から感謝しています。

第三章 社会人そして土台の形成、転機

昭和61年4月より、霞が関の公認会計士事務所でお世話になりました。
当時24才とはいえ、実務は何もわからない青二才です。
幸運であったのは、私は所長先生や先輩から厳しいご指導を受けたことです。
その結果、少しずつですが、4分の一人前、半人前・・・と成長していく自分自身を肌で感じました。
24才、25才当時、相続税の申告業務での実務判断は、相続税法の受験では全く聞いたことのないことの連続でした。
会計事務所の業界では、税理士試験合格といっても、自身のスキルアップのために毎日が勉強です。
厳しくご指導くださった霞が関の所長先生、先輩に心から感謝しています。

その後、昭和63年4月より、渋谷区の税理士事務所でお世話になりました。
2年の実務経験はあるものの、たかが2年です。
特に相続税の申告業務は、少し経験はしたものの、名義預金、複雑な土地の評価など、はじめて体験することばかりです。
しかし、学生時代に民法の基本の基本ができていたことが、業務の理解を深めたと思います。

転職2年目の春、男性の新卒メンバー3人が入所してきました。
当時、ひとつのチームリーダーであった私のもとに、新卒メンバーの一人が幸か不幸か配属されました。
そのメンバーは、4月に60キロであった体重が、5月には61キロ、6月には62キロ、7月には63キロ、8月には64キロ、9月には65キロとなりました。
若い方の成長は本当に早いです(笑)

 

その後渋谷区の税理士事務所を退所し、平成3年11月、立川税務会計事務所を創業いたしました。
運のいいことに、勤務先の税理士事務所の法人のお客様5社が、立川が独立するならついていくよ、と言ってくださいました。
勤務先の所長先生がご了承くださり、5社のお客様からスタートさせていただくことができました。
渋谷区の所長先生、先輩そしてお客様に感謝しています。
その後、ありがたいことにお客様からのご紹介でお客様が増え、また、相続税の申告業務も受託させていただくことができ、少しずつ事務所らしくなっていきました。
相続税の申告業務は、友人のお父さんの申告であったり、親戚のおじさんの申告であったり、本当に身近なところから依頼されることが多いです。
また、メンバーもひとり、ひとりと増えていき、本当に少しずつ成長していきました。
お世話になった勤務先の所長先生、勤務先での先輩そして友人、お客様、事務所メンバーに感謝しています

 

第四章 父の相続

平成27年1月、父が亡くなりました。
入院先の医師の先生からお話を聞いていましたが、本当にお迎えは突然やってきました。
死亡届の提出、死亡診断書の請求・受領、お坊さんと戒名の打ち合わせ、壇払いの手配など。

葬儀が終わり、ふと気がついてみると、ホッとした安堵とともに、悲しみ、後悔などが一気に波のように押し寄せてきました。
そうこうしいているうちに、香典返しの準備、そして納骨・法要など、またいろいろ郵送されてくる関係書類の対応に、心身共にクタクタになってきました。

相続とは、故人の「財産」の承継とともに、「想い」の承継でもあります。
父は、幼少期の時に戦争で父を亡くし、一家の長男として青果業を継ぎました。
父は、死の直前に何を想っていたのだろうか・・・
父のどのような思いを承継していけばいいのだろうか・・・

そんなことを思いながら、平成27年11月、父の相続税の申告書を提出し、合わせて相続税の納税も済ませました。
もちろん私が、相続税の申告書を作成しました。

命をいただき、養育をしてもらい、教育をしてもらい、言葉では表現しつくせない親の恩に感謝しています。

追記 相続税の税務調査

平成29年9月、八王子税務署から事務所に電話がありました。
父の相続税の税務調査のお電話でした。
生前、父は貴金属の取引を行っていましたので、それが税務調査のきっかけとなったようです。
相続人は、私と弟でしたが、税務調査は私ひとりで対応しました。
税務調査官は、2人です。

税務調査当日、定石通りの質問がありました。
その一例をあげますと、
〇 被相続人の月々の生活費など
〇 被相続人の死亡直前の財産管理は誰が行っていたか(書類や通帳の管理)
〇 被相続人が亡くなったときの状況(入院の有無・時期や病院名など)
〇 被相続人の介護や入院にかかった費用
〇 相続開始直前で下した現金の具体的な使い道
〇 生前に贈与を受けたことがあるか
などです。

父の預金移動表のコピーを担当調査官にお渡しし、税務調査は終了しました。
後日、担当調査官より、提出した申告の内容に間違いはなかった(申告是認といいます)という旨のお電話がありました。
その後、八王子税務署から、書面で申告是認の通知が郵送されてきました。
こうして相続税の税務調査は終了しました。

野菜・果物に囲まれて生まれ育ったことに感謝しています。
そしてお客様、家族、事務所メンバーをはじめとする、人とのご縁に心から感謝しています。

 

 

 

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